福岡へ旅行に来たら太宰府天満宮へ行くって人、多いと思いますが、そこへ行く前にぜひ立ち寄ってもらいたい場所があります。
それが今回ご紹介する大宰府政庁跡。
元号「令和」の元となった万葉集の歌人ゆかりの地でもあり、隣接する坂本八幡宮と合わせて散策してほしい場所です。
太宰府天満宮から車で5分ほどの所にあります。
大宰府政庁跡はどこにある?
太宰府天満宮から約3キロ離れた場所にある大宰府政庁跡。
天満宮から歩いて散策するにはちょっと離れすぎているので、公共交通機関か車で行くことになります。
博多駅からだと、バスセンターから太宰府天満宮行きのバスが出ており、天満宮の手前にある政庁跡にも停まるので一番便利。
天神からだと西鉄大牟田線の都府楼前駅から歩いて15分。
徒歩での移動を減らしたい人は車がおススメ。
無料で利用できる駐車場があり、天満宮へのアクセスも楽ですよ。
大宰府政庁跡とは
大宰府政庁跡とは、7世紀後半にこの太宰府の地を統治した役所の跡地。
大宰とは、大和朝廷時代に東国・播磨・吉備・周防そしてこの筑紫の地に置かれていた地方を統治する機関。
その中でもこの筑紫大宰府は、東アジア諸国に最も近いという事もあり、外交・交易の窓口として重要な役割を果たした場所です。
こちらが大宰府政庁跡の入口。
国指定特別史跡で「都府楼跡(とふろうあと)」という名前で親しまれている太宰府政庁跡は、史跡公園として整備され、天気の良い日は家族連れやご近所の人たちの散歩コースになっています。
門や回廊、役所などの跡が整備されて、芝生でおおわれた公園はとっても気持ちがよく、のんびりするには最高の場所。
遠の朝廷(みかど)を思わせる立派な礎石
万葉集で”遠の朝廷(みかど)”と詠まれたとされる大宰府政庁は、このような立派な礎石が残っている事からもわかるように、その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものだったそうです。
残念ながら、この跡地には礎石しか残っておらず、外観を見ることはできません。
正殿跡に立てられている石碑。
隣接する大宰府展示館
この跡地に隣接する大宰府展示館では大宰府政庁関係の資料が展示されており、ここでは模型を見ることが出来ます。
小さな展示館ですが、入場無料なので是非のぞいてみてください。
新元号「令和」に関する資料もありますよ。
筑紫万葉の歌を残した「筑紫歌壇」
そう、令和といえば、その出典が「万葉集」の梅花の歌、三十二首の序文だという事は有名ですよね。
その序文を書いたのが当時大宰府の長官だった大伴旅人(おおとものたびと)。
万葉集に収められた数々の筑紫万葉の歌を残した「筑紫歌壇」。
大伴旅人(おおとものたびと)はその中の一人で、他に小野 老(おののおゆ) 、守山上憶良(やまのうえのおくら) 、大伴 坂上郎女(さかのうえのいらつめ) などがいます。
「あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の にほふがごとく 今さかりなり」
大宰府着任を祝う饗宴で、小野老が詠んだ和歌です。
この地で詠まれた歌は約320首にもなるんだそうですよ。
正直、何もないところではありますが、大宰府政庁の事を知れば、少しは見方が変わってくるかもしれません。
青空の下、「筑紫歌壇」のように一句、歌を詠んでみてもいいかもしれませんね。
まとめ
何も知らずに訪れると、ただの原っぱにしか見えない太宰府政庁跡。
だから行く際は下調べをしっかりしておくことをおススメします。
大宰府政庁の役割や、そこで活躍した人、梅を題材に歌われた筑紫万葉、そして歌人たち。
元号の令和が誕生した理由も知ることが出来ますよ。
太宰府天満宮から車で5分ほどの場所にあるので是非立ち寄ってみてください。